わかろうとしている人
新聞を読んでいて気に入った一文を見つけました。
『いちばん必要なのは「わかっている」人ではなくて、現役でやっている人、つまり今でも「わかろうとしている人」です。』
絵本作家の五味太郎さんが自著の中で書いていた言葉だそうで、引用の引用でお恥ずかしいのですが、自分が「こうありたい」とぼんやり考えていたことを、はっきりとした言葉として見つけた、と思いました。
仕事でも私生活でも、ずっと「わかろうとしている人」であり続けたいな。
そんなことを考えていたら、この数日、ネットを賑わせている、「プラネテス」という宇宙を舞台にしたSFアニメーションを、JAXAの元職員の方が、「面白くない」と一刀両断に批判して、逆に非難を浴びているという話を思い出しました。
これも、「わかっている」のと「わかろうとしている」のずれが産んだ論争なのかな? んー、違うか? でも、そんなところにいさかいの根っこがあるような気がする。
もう一つ、思い出したのは、高校時代の国語のセンセイ。
とっても厳しいセンセイで、問題の解答を求められて、「わかりません」と答えると、物凄く怒ります。
その時に、「『忘れました』は仕方ないけど、『わかりません』はいけない」と言うのです。
問題の答えを見つけていたけど、ど忘れしてしまうのは、仕方ない。けれど、わからないのは、答えを見つける努力を放棄しているからだ、と。
では、そのセンセイは「わかっている」人だったのかというと、こんな話もしてました。
そのセンセイは博学なので、他の教師から質問を受けることがよくあるそうで、よく知っている事でも、答える時には、必ず辞書などを見て確認してから答える、と。
センセイは「わかろうとしている人」だったんだなぁ。とウン十年経ってあらためて感じたのです。
あ、「だった」と書いたけど、そのセンセイ、まだご健在だそうですw
五味太郎さんの本も読んでみなきゃいけないな。
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